スサノヲ 三界を旅する〝異貌の神"
『古事記』『日本書紀」に伝えられている神。天照大神の弟とされる。 出雲の神 であったが、出雲が大和政権との戦いに敗れた後、日本神話にとり込まれた。
●怪力幼童の異常児
スサノヲの命がイスラエルやペルシャや中近東で活躍したというと、人は奇異な印象を抱くに 違いない。日本神話の神がどうして中近東にいたのだ、と。
しかし、である。わがスサノヲの行動半径は、地球をまたにかけるほど広大なのだ。日本神話 に登場する神々の中で最も長い旅を経験した神がスサノヲの命である。
例えば、スサノヲが朝鮮に渡り、ひげを抜いて蒔くと杉や檜や槙、そして楠になったという植 物化生譚が『日本書紀』に伝わっているが、木村鷹太郎はかつて『日本太古史』の中で、スサノ ヲはギリシャ神話のペルセウスとヘラクレスとアポロンと、ユダヤ神話のサムソンを混成した神 で、スサはペルシャのスサ府の名称と同じだという奇説を出した。大本教の出口王仁三郎も『霊 界物語』の中で、スサノヲは外国で活躍した神とし、折口信夫もマレビト神の原像とした。彼ら はともにスサノヲを贖罪の神、救済の神として自らの魂の淵源をそこに見た。
スサノヲの誕生について、『古事記』は次のように伝えている。 スサノヲは子供のころから八拳 ひげが胸先にたれのびるまで、母神イザナミのいる「北の国」に行きたいと、青をとなし河海の水をことごとく乾あがらせてしまうほどに、恋い慕って泣き叫んだために、父神イザナギ に葦原中津国を追放される。ここからこの怪力幼童の異常児の漂泊の旅が始まる。
追いやられたスサノヲは、姉神のアマテラスオオミカミに別れを告げるために高天原に昇る。 その時、大音響を鳴り響かせて高天原に昇ったために、アマテラスにこの国を奪いに来たのでは ないかと警戒される。身の潔白を証明するために、スサノヲは宇気比を行なう。 この宇気比の場 面は、日本神話の中でもとりわけ神秘的なところだ。
まず、アマテラスがスサノヲの持っていた十拳剣を乞い受け、その剣を三段に打ち折り、天の とつかのつるぎ まな むなかた まがたまものざね 真名井の聖水をふりすすぎ、口中に入れてかみくだき、息とともに吐き出すと、タキリヒメの命、 イチキシマヒメの命、タギツヒメの命の宗像三女神が出現する。つづいて、スサノヲがアマテラ スの左右の耳や、かずらや、また左右の腕に着けていた勾玉を物実として乞い受けて、天の真名 井の聖水に浸し、その玉をかみくだいて息とともに吐き出すと、気吹の霧の中からマサカアカツ カチハヤヒアメノオシホミミの命、アメノホヒの命、アマツヒコネの命、イクツヒコネの命、クマヌクスヒの命の五柱の男神が出現するのである。 そこでアマテラスは、「五柱の男子はわが物実によりて成りませるゆえにわが子である。三柱の 女子は汝の物実によりて成りませるゆえに汝の子である」と告げる。すると、スサノヲは、「で は、わが心が清明であったがゆえに、わが生んだ子は手弱女だったのだ」と身の潔白と勝利を宣言する。
クシナダヒメとの結婚
だつぷん しかし、スサノヲはこののち、高天原でも農耕を妨害したり、聖なる神殿に脱糞して乱暴をは たらき、ついにこの地をも追放されてしまう。そうして高天原から降り立ち、立ち寄った地が 出雲である。 出雲では、八岐大蛇を退治し、この大蛇の尻尾から三種の神器の一つとなった神剣の草薙剣を発見する。そしてこの地に宮を建てて、土地の姫神クシナダヒメと結婚する。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を
というわが国最初の短歌はこの結婚の時に歌ったものだ。 母神を慕って泣き叫んでいたトリッキーないたずらっ子の神が、旅をし、怪物を退治して一 英雄神となり、しかも言霊とポエジーを発現する詩神となる。 この荒魂から和魂、幸魂、奇魂へ の変容こそ、あらゆるイニシエーションが持つ魂の成長ないし完成にほかならない。
その後、スサノヲは根の堅洲国の主宰神となり、訪れて来た青年神オオナムヂの神をヘビやム カデの室に入れるなどしてさまざまな試練に遭わせて、最後に、生大刀生弓矢、天詔琴と自分 の娘のスセリヒメを与え、大国主命という神名をも授けて、大国主命の魂の完成、すなわちイニシエーションを導く知恵と試練の神となる。
このように、スサノヲは葦原中津国(日向・出雲)、高天原、根の堅洲国と三界を旅して歩く異貌 の神であり、無垢と残虐と智慧を併せ持つ神なのである。そして、あらゆるイニシエーションが 内包する死と再生をくりかえす、変容(メタモルフォーゼ)するエロスとタナトスの神として顕現する。 破壊と創造死と再生、天と地、男と女、童と翁、この蓑笠をつけて各地、各界をさす いながら、相反するものの一致をはかり、その両極をまたにかけて往来し、架橋し、 むすび識 なしてゆくダイナミックな生成変容の旅こそ、 翁童の原像スサノヲの魂の道行きなのである。