歴史の闇 祟り・呪い

日本史上、屈指の邪教 悪魔と交わる「真言立川流」

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日本史上、屈指の邪教 悪魔と交わる「真言立川流」

邪教・真言立川流

髑髏本尊

髑髏を本尊として、セックスを通じて即身成仏に至ろうという宗教があった。
その名を「真言立川流」という。鎌倉時代に仁観という僧侶によって開かれ、南北朝時代に文観によって完成されたとされる、仏教(密教)の一派である。

仁勧は後三条天皇の第三皇子・輔仁親王に護持僧として仕えていた人物である。ところがその後、あろうことか鳥羽上皇の暗殺を図り、伊豆大仁に流される。やがて仁観は、武蔵国立川(現在の東京都立川市)出身の陰陽師たちと知り合い、密教の奥義を布教するようになる。そして仁観の死後、弟子たちが陰陽道と真言密教を混合してつくりあげたのが、真言立川流だといわれている。
最大の特徴は、通常の仏教ではタブーとされる、セックスを通じて即身成仏に至ろうとする教義にあった。
彼らにとってもっとも重要な経典は『般若波羅蜜多理趣品』で、空海が中国から日本へ持ち込んだものとされており、もっぱらダキニ天を拝するところに特徴がある。

ダキニ天というのは、夜叉または羅刹の一種で、人が死ぬ6か月前に察知し、その心臓を喰らうという女性の悪鬼だ。ただし、密教においては、ダキニの法を修得した者には、自在の力が与えられるという。また、日本では本体を狐の精とし、稲荷大明神や飯綱権現と同一視される。

ダキニ天

つまり彼らは、セックスを通じてダキニの法を手に入れようとする集団だったのだ。
その際に彼らが重視したのは、「髑髏本尊」による御利益だった。
これは、髑髏に性交の和合水(精液と愛液が混ざった液)を繰り返し塗り込め、金箔や銀箔を貼って鼻や目を肉づけすることで得られる「本尊」で、強力な呪力を備えているとされた。
あらゆる望みをかなえるのは序の口で、夢でお告げをしたり、世界の真理を語ったりと、まさに秘儀中の秘儀である。支配者ならだれもが憧れる、永遠の力の源だったのである。

天皇親政をわが手に!
呪術に通じた天皇、後醍醐天皇

悲劇の王

後醍醐天皇

後醍醐天皇は、正応元(1288)年に、後宇多天皇の第2皇子として生まれたが、なかなか即位することが出来なかった。
兄の後二条天皇の急逝で即位したときにはすでに31歳。しかも時代は鎌倉時代末期で、源氏・北条氏による武家政治の態勢が盤石になっていた。
実質的な支配権は天皇家から武家へと移り、しかも地方では悪党と呼ばれる武士団の働きが活発となって、幕府の基礎そのものが揺らいでいた。

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後醍醐天皇が天皇親政を取り戻すために倒幕の兵を挙げたのは、そんな時代だったのだ。
ところが倒幕計画は2回にわたって幕府に露見し、後醍醐天皇は隠岐に流される。そんななか、河内の楠木正成、播磨の赤松則村、上野の新田義貞、下野の足利尊氏ら、反幕府勢力の力を結集することでようやく新政権を打ち立てたのだ。

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後醍醐天皇の理想は、平安時代の醍醐天皇と村上天皇の治世にあった。天皇がすべての権限を握り、直轄的に日本全国を支配することーそれが究極の目的だった。
こうして始まったのが建武の新政である。

ところが後醍醐天皇の構想は机上の空論化し、あまりに理想主義的な政治手法が目についた。と同時に、力を伸ばしてきた武家の力を甘く見ていた。そのため、政権は短命に終わってしまう。
その後、後醍醐天皇は吉野へと移り、有名な南北朝時代が始まるのだが、それは本稿の主題ではないので割愛する。
問題はこのとき後醍醐天皇が、列島支配に用いようとした大きな力の存在である。それこそが呪術の力だった。

後醍醐天皇の秘儀

後醍醐天皇はとりわけ、密教に強い関心を抱いていた。密教というのは、簡単に言えば「目に見えない教え」である。
仏教でいえば、経典に書かれてた教えは誰でも見ること、知ることができる。だからこれを「顕教」という。それに対して密教は、経典には教えが書かれていない。自らの修行によって、直接宇宙と通じ、その奥義を体得するものなのだ。
そして、後醍醐天皇に密教を教え、影響を与えたのがあの文観だったのである。

文観は律教の僧侶だったが、醍醐寺の道順から灌頂を受け、真言密教に宗旨変えしている。鎌倉幕府に対して呪術的なしかけを行い、それが原因で硫黄島に流されたともいわれている。だが、後醍醐天皇が政権を握るとすぐに呼び戻され、東大寺の大観進から醍醐寺の座主へと大出世を遂げている。

文観房弘真

その文観が完成した(あるいは中興の祖になった)といわれているのが、真言立川流なのだ。その力のすさまじさは、先程述べたが、どうも後醍醐天皇は、この真言立川流の呪術の力=ダキニの力を用いようとしていたらしいのである。

このことを明らかにしたのは、歴史学者の故・網野喜彦だった。彼は著書『異形の王権』において、後醍醐天皇は当時、被差別民とされていた商人、密教僧、悪党などの力を結集し、その「異形の力」を自在に駆使する実践者たらんとした、と説いた。

そのうえで、後醍醐天皇が行った祈祷が「聖天供」(大聖歓喜天浴油供)という、もっとも困難かつ強力な呪法だったことに注目する。聖天は1種のセックスエネルギーのシンボルでもあるから、おそらくそこでは「性的な呪術」がおこなわれていたのではないか、と推測しているのだ。
だとすれば、この「性的な呪術」の正体が、真言立川流であった可能性は高い。

また、後醍醐天皇の肖像画において、密教の仏具である金剛杵を手にしている。これはつまり、密教における祈祷、呪術のスタイルなのである。
ただし、この呪法は自らの身も滅ぼす諸刃の剣だった。
事実、後醍醐天皇は失敗し、奈良の吉野に逃げたきり、再び京都へ戻ることはなかった。
「呪術王」であること引き替えに、天皇が支払った代価は、あまりにも大きなものだったのかもしれない。

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