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権力が"でっちあげた冤罪"「足利事件」 真犯人はどこに?

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権力が"でっちあげた冤罪"「足利事件」 真犯人はどこに?

 

ある日突然、 あなたが警察に身柄を拘束される。 だが、まったく身に覚えがない。

 しかも、凶悪事件の犯人だと言われ、 「証拠もある」と言われた。

連日連夜執拗な取り調べに嫌気がさしたあなたは、その苦痛から逃れたいばかりに、つい「やりました」と言う・・・・・・このような地獄の沙汰が、信じられないようなことが現実に起こった。

そして、犯人に仕立て上げられた男は、犯罪者のレッテルを貼られ、すべての自由を奪われた…………それが「足利事件」だった

 

善良なる市民が 犯人にされる恐怖のプロセス

 

の性格を端的に表している のは、 菅家利和を取り調べた事件当時 栃木県警捜査一課強行班長・橋本文夫 が口にした次の言葉である。

「犯人は誰でもいいんだよ」

 つまり、この事件は、警察が過ちを犯 したとか結果的に間違いが起きてし まったとか、そういう類いの出来事で はなかった。真犯人が誰であるかは間 畑ではなく、手続き上、犯人を作った ということだ。あえて警察の立場で言 えば、もう少し犯人の選び方を考えれ ばよかったというところだろうか。 せ めてスリの常習犯でも引っ張っていれ ば、たとえ無実がバレたとしても、「ど ちみち悪いやつだから仕方がない」 という印象を世間に振りまくこともできた。 しかし、菅家利和に前科はなく、別件で警察にマークされるようなこと もしていなかった。「警察が事件を作る はずがない」、「悪いことをしていなけ れば大丈夫」という美しい夢を壊された 人たちの心のケアはどこでやってくれ るのだろう。

ところで、なぜ犯人は誰でもいいの 意味がわからない人もいるかもしれ ないので、まずその話からしてみよう。 御存知のように、足利事件のキーワー 下はDNA鑑定である。この事件は、 警察庁が犯罪捜査にDNA鑑定を導入 するのと軌を一にして起きた。90年 月12日に足利市内のパチンコ店で4歳 の女児がいなくなり、翌日に渡良瀬川 河川敷で遺体が見つかった。警察庁 がDNA鑑定制度の導入を決定したの は、その1年後の9年5月22日である。

そして同年12月1日、菅家利和は突然警察に連行された。 そのまま逮捕され、犯人は誰でもいいんだよ」と言われた。

この流れの中で、DNA鑑定制度の導入というスケジュールがいかなる意味を持ったか問題はそこにある。

精度の低い”DNA鑑定で 「クロ」とされた菅家さんの悲劇

 

菅家が容疑者とされたとき、「DNA鑑定で一致」というニュースが大きく報道されたことは、いまも記憶に新しい。当時はその結果じるしかないような状況が作られた。一審の弁護人 菅家をクロと見て疑わず、事実審理 は行われなかった。 しかし、一部では その当時から捜査に疑問が持たれてい たたとえば、事件当時のDNA鑑定が精度度の低いものであったことは、遅くとも9年には指摘されていた(「法律時報 9年2月号)。 また、被害者に付着し ていた唾液の血液型はA型AB型で、菅家の血液型はB型だった。こうした 疑問は新聞記者・三浦英明ルボ・ 足利事件 DNA鑑定の怪」で早い時期に指摘していた。 控訴審ではそれらの問題が明らか になったが、東京高裁の高木俊夫裁判 長は、一連の疑問を無視して控訴を棄却した。裁判所もまた「犯人は誰でもい いんだよ」という橋本刑事と同じ認識だったことになる。

 

こうした地獄の沙汰は、過去に何度 起きてきた。 今後も繰り返し起こる だろう。なぜなら冒頭で述べたように、 これは単なる過失ではないからだ。 役 所のメンツという問題でもない。 足利 事件において警察・検察・裁判という地獄のトライアングルは、過失ところか 正常に機能していた。彼らの世界でいう。正常とは国家組織の利益のためなら国民個人の存在は無化されるという状態を指す。 かつてはこれと同じ国民総動員の戦争が行われ と言えばわかりやすいかもしれない。 では足利事件の場合、誰でもいいから 犯人をでっち上げることで生まれた国 組織の利益とは何だったか。 それは 警察庁の予算である。 なんだそんなこ とかと思うかもしれない。 ま ったくそのとおりで、たかだかそんな ことなのであるだが、組織内の論理 では重要なことなのだ。

 

すでに述べたように、足利事件の発 生から1年後に警察庁は、DNA鑑定 制度として導入することを決定した。 これはどういうことかというと、「警察が DNA鑑定をするための機材を業 者から買いますよ」ということだ。し かも制度として導入するのであるから、全国の警察で機材の需要が生まれますよ たくさん買ってあげられますよ」ということだ。段 取りとしては、まず買い物の予算を財 務省(事件当時は大蔵省)に認めてもらわ なければならない。警察庁は9年8月 28日に、DNA鑑定機器費用として! 億1600万円を概算要求に盛り込ん だ。そして同年11月25日に足利事件の DNA鑑定報告が出された。 その6日 後、朝日・読売・毎日の3紙が「DNA鑑 定で一致 容疑者事情聴取へ」と全国版で報道した。 警察に連れて行 れたのは、その日の朝のことである。この経緯について三浦英明は、前掲 ルボで重要な事実を指摘している。 警察庁が要求したDNA鑑定機器費 用は、菅家が逮捕された月末に、2年 度予算として認められたのである。こ れは復活折衝(局長折の結果であった。 つまり、当初大蔵省が示した原案では、 警察庁の予算要求は蹴られていたのだ。 その復活を局長レベルで交渉した結果、 予算が認められたことになる。まさにDNA鑑定で一致」という全国報道の 効果で警察庁の予算要求が復活したというタイミングである。これは偶然の 一致であろうか」と三浦は9年の段階 で問題視していた。まるで報道と警察 ボグルになって菅家の逮捕を後押しし、 警察庁の予算要求の振りをしたよう に見えるからである。

 

菅家さんを「代償性小児性愛者」と鑑定した精神鑑定の虚構

 

足利事件の物証は、DNA鑑定の結 果のみである。したがって、その唯一 の物証が崩れた結果、菅家を有罪とす る根拠はなくなった。しかし、「犯人は 誰でもいいんだよ」という捜査方針か らすれば、実際にはDNA鑑定の結果 もどうでもよかったはずである。 とす れば、警察にとっての問題は「菅家 をいかにして犯人のように見せるか」とい 一点に尽きていたことになるだろう。

 

菅家さんを取り調べた当時の栃木県警捜査一課 強行班長・橋本文夫はこう言い放った 「犯人は誰でもいいんだよ」 かけた。

 

そこで毎度おなじみの印象操作という 手口が出てくる。菅家は「冤罪ある日、 私は犯人にされた」という著書で次のよ うに述べている。

 

「誘拐した場所や殺害した場所につ いては、適当に指し示しても何も言わ れませんでしたでも、遺体の遺棄現 「場を「ここです」と指し示したときには、 同行した刑事に「違う。もっと向こうだ ろ」と怒られてしまいました」

 

この状況が新聞記事になると、「遺棄」 した指し示した場所と遺体発見場所 がほぼ一致した」(「下野新聞』91年12月14日 付)となる。また、次に引用する菅家の 告白。

「ちょっと恥ずかしい話ですが、借 家には映画やドラマなどを含めて二百 本以上のビデオテープが置いてあって、 そのうち百三十本がアダルトビデオで した(中略)ただ、自分がなぜ、ロリコン 趣味だと報じられたかは、今でも不 思議です。(中略)押収されたアダルトビ デオだって、いわゆるロリコンものの ビデオは本もありませんでした」(前 掲書より

 

犯罪心理学者・福島章は、一審での 清神鑑定の結果、菅家は成人女性の代償として幼女に性的関心を抱く「代償性 小児性愛者」であると結論した。 しかし、 菅家の生活歴にそのような傾向はない ことから、弁護人は控訴審で、鑑定の 不可解さについて質問した。 すると福 島は「自分は菅家さんが犯人であること 前提に鑑定しただけだ」と答えた弁 護士・佐藤博史の報告。はじめから結論あ りきの鑑定だったことになる。 犯罪心 理学者というのは、警察・検察の代書屋 にすぎないということがわかってしま ったのである。

 

足利事件の 再審の気運が高まる最中に 突如執行された「宮崎勤」の死刑

 

報道の印象操作、変態ロリコンという レッテル張り、精神鑑定と称する代書 手続き この3点セットは、いつか見た光景の繰り返しであろう。88年の宮﨑勤事件で確立された手法である。 足 利事件も同じ文脈で処理されようとし たらしい。この時代の犯罪を考えると きに見ておかないといけないのは、北 関東で70年代から幼女の失踪・殺害事件 が続発していたことである。いずれも 未解決のため、あれもこれも菅家のしわざということにされ かけた。 79年8月に足利市で起きた万弥ちゃん殺し、84年11月に やはり足利市で起きた有美ちゃん殺し。警察はこの2つの事件も菅家に自供させたが、証拠不十分 で不起訴となった。 実は宮崎勤事件も 不十分だったのだが、 多くの人は そう思っていないだろう。私も調べる まで気づかなかった。 イメージ操作の 恐ろしさである。ここでは宮﨑につい ての説明は省くが、足利事件の捜査と 裁判には、宮崎勤事件と似通っ た面がある。すなわち、 足利事件の操作実態が明るみに出れば、 宮崎勤事件 の捜査実態も芋蔓式にバレてしまう可能性があった。 それが 足利事件のDNA再鑑定を 遅らせた理由の一つだったのではな いだろうか。現に足利 事件が最終局面を迎えた 1968年に、宮崎勤の死刑が急遽執り行われた。

時系列では次のようになる。

 

08年2月 宇都宮地裁が足利事件の再審請求を棄却。弁護団は即時抗告。

08年5月 足利事件弁護人のDNA資 料採取の申し出を千葉刑務所が拒否。

08年6月 宮崎勤の死刑執行 

08年9月 足利事件のDNA再鑑定に ついて裁判所が三者協議開催の旨を回答。

08年10月 検察が裁判所のDNA再鑑 定に反対しない旨の意見書を提出。

08年10月 飯塚事件の犯人とされた久間 三千年の死刑執行

08年12月 東京高足利事件のDNA 再鑑定を決定。

 

この経過からわかるのは、宮﨑勤の死刑執行の前と後で、足利事件に対する 裁判所と検察の方針が180度変わる ことである1996年2月に宇都宮地裁の 池本寿美子裁判長が、不自然を理屈で 再審請求を棄却して批判されたが、その 段階ではまだ再審を認めるわけにはい がなかったのである。というのも、実 はこの年には宮崎勤事件も再審請求の 動きを見せていた。加えて足利事件と 同じ時期にDNA鑑定を有罪の決め手 とした飯塚事件。やはり再鑑定が必要 と言われていたこの事件も世間の耳目 を集めていた。つまり、世上を騒がせ 重大事件への疑問が、この年に次々と表面化する可能性があったのだ。もしそうなれば、日 本の司法は土台から揺らぐだろう。 か かる事態を回避するには、裁判所がい ずれの再審も認めないという方針を貫 くしかないだが、足利事件の再審が もはや避けられない情勢になったとき、 当時の法務大臣は、まず宮崎勤事件を 完全処理〟した。そして次の内閣では 飯塚事件も闇に葬った(0年10月に再審 請求)。かくして当局は、足利事件の再 審を認めて自らの肉を切らせる一方で、 他の懸案事項を抹殺したのである。

 

加工・改ざんが容易な「デジタル」映像が証拠となる危険性

 

近年の事件を見ている と、捜査のポイントにな っているのは、ほとんどDNA鑑定と防犯カメラ の2本立てである。 菅家利和が釈放された翌 日、警察庁は、全国15ヶ所の小中学校の近隣住宅街に計375台の防犯カメラの設置を決めた。1か所に25台。予算は5億9000万円を計上している。これまで警察は、繁華街に防犯カメラを設置していたが、住宅街に設置するのは初めてである。また、カメラの管理は民間団体に委託するらしい。 自警団が住宅街を監視して警察への通報を 請け負うという密告体制のようである。

 

こうした予算が組まれた背景には、 08年5月に起きた京都府舞鶴市の女子高 生殺しがある。防犯カメラの映像が唯 一の物証というケースである。 デジタ ルツールの発達で映像の加工が容易に なった今日、カメラの映像を犯罪の証 として採用するのは、微妙な問題を 孕んでいる。 第三者による鑑定が必要 とも思われる。というのも、読者のみ なさんは、宮崎勤事件で最有力の物証 とされたものが何であったか御存知だ ろうか。被害者の遺骨? 違うのであ る。4人の被害者のうち、3人の遺骨・ 遺体は、本当に被害者本人かどうか確 定していないだから裁判で出された 有力な物証は、被害者の写真とビデオ だった。それが宮崎の自宅や車から押 収されたことになっている。だが、な ぜか警察は、写真がどこで現像されたものなのか公表していないのだ。そう いうことが禍根を残しているのである。 物証となる技術は、ときに諸刃の剣となる。 足利事件ではDNA鑑定がそうだった同じ人間を有罪にしたのも無 罪にしたのもDNA鑑定の結果だった。 最近では9年12月に栃木県今市市(現日光市)で起きた吉田有希ちゃん殺害事件」 でもDNA捜査が進められている。有 希ちゃんの遺体から採取された男性の DNA型が犯人のものと見られていた。

 

そして、その型を調べた結果、事件当 時の栃木県警捜査一課幹部のDNA型 と一致したそうである。この鑑定は最 近のものなので精度は高いはずだ。ち なみに遺体から見つかったDNA型は、 有希ちゃん以外のものはたった1つ、こ の警察幹部のものだけである。それが わかって以後は情報がぶっつり途絶え ているが、こういう顛末がいかなる意 味を持っているのか、もしかしたら忘 れた方がいいことなのか、機会があっ たら考えてみたい。

 

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