未解決事件 都市伝説

京都・長岡京 『ワラビ採り殺人事件』の”怪” 

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79年5月  京都・長岡京市で、山へワラビ採りに入った主婦二人が、
白昼何者かに暴行され、殺害される事件が起きた。
さらにこの事件から、5年後  同じく長岡京市内の主婦が、
白昼殺され、家を放火される放火殺人事件が起きた。同じ地区で起き、
被害者はいずれも主婦という共通項があった両事件だが、いずれも迷宮入りした。
両事件ともに全国区の事件ではないが、
インターネット上では、ある意味で語り草となるほどの有名事件である。
それは、陰惨で多くの謎が残されているにも関わらず、
メディアが取り上げることが少なかったことも影響しているに違いない。
迷宮入りした怪事件の真相とタブーとは はたして・・・?

京都・長岡京
『ワラビ採り殺人事件』の”怪”

被害者の主婦2人は、白昼何者かに暴行され、殺害された・・・
遺体にはすさまじい痕跡が残されていた・・・
被害者の1人は全身訳50箇所の皮下出血、
そしてもう1人の被害者は30か所の皮下出血、
さらに肋骨9本が折れ、肝臓が破裂していた。

事件発生を伝える週刊誌の記事。 だが、これだけの事件にもかかわらず、 以降事件をフォローするメディアは少なかった。

約40年前に起きた長岡京の『幽霊事件』

京都市の南部を走る阪急バスの運転手が、ある雨の夜、いつものように最終便を走らせていた時のことである。乗客は後方の座席に並んで腰掛ける2人の女性だけだった。終点に近づいても降りる気配がなく、いつまでもバックミラーに映っていたが、ふと見ると姿が消えていた。驚いて座席を確かめると、濡れた土が付いていた。

「山で殺された人や 」

噂はまたたくまに広まった。住民は戦慄し、バスの運転手は恐怖から勤務を嫌がる始末であった。いまから約40年前に起きた長岡京の幽霊事件である。
ことの発端は、おぞましい殺人事件にあった。79年5月23日、地元の主婦・青木英子さん(43)と、同じく主婦・高山恵子さん(32)の2人が、長岡京市の西にある通称・野山にワラビ採りに出かけたまま行方不明になった。捜索の結果、2日後に山中で死んでいるのが見つかった。2人の遺体には、拳や足ですさまじく暴行された跡があった。

青木さんは強姦されており、死因は首を絞められたことによる窒息死だった。高山さんもいたずらされた形跡があり、胸に突き立てられた包丁が心臓を貫いていた。 警察は変質者の犯行とみて捜査を進め、目撃証言などから不審者をリストアップした。事件発生時に不審な2人組の男が山に入ったという情報があり、警察は彼らの行方を追ったが、身元は特定できなかった。事件前に山で女性に声をかけていたという40代ぐらいの男の似顔絵も公開されたが、犯人逮捕には結びつかず、事件は迷宮入りした。

事件はなぜ迷宮入りしたのか・・・?

被害者の一人青木さんのポケットから発見された走り書きのメモ (週刊新潮・79年6月14日号))

長岡京の2主婦殺害事件は、やがて”ワラビ採り殺人”と呼ばれるようになった。当初は関西圏の新聞が大きく報じていたが、その後の事情をフォローしたメディアは極めて少ない。週刊誌では79年に『週刊新潮』が記事にしただけである。あとは03年に『別冊宝島Real』が載せた検証レポートしか資料がない。複数の女性がリンチ強姦殺人に遭うという残虐な事件にしては、なぜかあまり言及されてこなかった。ゆえに決して有名な事件と言えず、多くの謎が解明されないまま、事件史の中に埋もれてきた。

直感的には、迷宮入りになるような事件とは思えない。相当に荒っぽい犯行なので、用意周到な性格の犯人像は浮かばない。遺体に残された体液から犯人の血液型もわかっている。現場には凶器の包丁も残されていた。ただし、包丁から検出された指紋と掌紋は、すべて高山さんのものだった。犯人の指紋はなかったという。このあたりは引っかかる。山中の現場から足取りを残さずに消えた犯人は、土地勘のある人物だったと思われるが、地元に関わりのある者の犯行ならば、こんなにも捜査が難航するだろうか。

青木さんはジーパンのポケットに謎のメモを残していた。スーパーのレシートの裏側に

「オワれている たすけて下さい この男の人わるい人」

と書いてあった。現場で犯人と遭遇してから、どんなタイミングで書いたのかという疑問が残された。犯人は複数と見られたが、隙を見てメモを書く時間があったなら単独犯ではないかという見方もあった。また、メモの文面は切羽詰まった書き方の中に、妙な余裕があるという指摘もあった。

「この男の人 (実は) わるい人 (だった) 」

というニュアンスを読み取るならば、当初犯人は無害な顔で近づいたとも思われる。青木さんの見知った男だった可能性も捨て切れなかった。

高山さんの着衣は乱れて下着を脱がされていたが、青木さんはジーパンをきちんと穿いた状態で死んでいた。その様子から警察は、高山さんが強姦されたものと判断したが、司法解剖の結果、犯人の体液は青木さんから見つかった。すなわち、青木さんは強姦された上で、ジーパンをきっちり穿いていたことになる。これについて『週刊新潮』は、年長の青木さんが高山さんをかばう意味でも甘んじて犯人の脅しに屈し、事が終わった後に身繕いをしたのではないかと推測した。一方、『別冊宝島Real』では、この問題についての警察の発表が公式・非公式も含めて混乱したことを指摘した上で、「暴行ではなかった」という可能性も視野に入れている。それ以上には踏み込んでいないが、殺人に至る前の段階で犯人と被害者の間に合意があったと推定すれば、ジーパンの謎は解けるという示唆だろう。この辺の複雑さが事件を埋もれさせたのかもしれないが、一般論で言えば、合意の後にトラブルになるというのは行きずりの男女間でよくあることだ。

捜査本部が公表した犯人と思わしき男の似顔絵。週刊誌の記事によれば40代とみられるこの男は、事件の数日前、現場に近い山中で、ワラビを採りに来ていた主婦に「採れますか?と声をかけている」(週刊新潮・79年8月30日号)

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被害者の遺体が物語る犯人の狂気性

現場の山に行ってみると、事件当時に造成中だったエリアは、いまではすっかり住宅街になっていた。青木さんの家のあたりは、きれいに整備されたニュータウンである。

「山の方へは行かへんな。事件のこともよう知らん」

うちら越してきたばかりやし、と地元の人は首を傾げる。宅地開発による人口の増加は、事件を確実に過去のものとしているようだ。青木さんたちが自転車を止めた寂照院という寺から坂を上がると、道は山へと続いていた。一説に「竹取物語」の舞台とも言われるだけあって、見事な竹林が広がっている。

延暦3年から13年まで(784年?794年)のわずか10年ではあるが、長岡京は日本の首都だった。都の造営中に桓武天皇の側近・藤原種継が暗殺され、事件への関与を疑われた皇太弟・早良親王が抗議の断食の後に憤死した。政情不安から桓武天皇は再び遷都を決意し、平安京を開くことになる。

遠い歴史に思いを馳せながら坂道を登っていくと、眼下には古都の町並みが広がっていた。窓を開けた家から声が聞こえてくるほどに、崖下から住宅までの距離は近い。やがて狭い山道に入る。観光地ではないので標識などは一切ない。殺害現場付近は、真昼でも木々が日光を遮り、まばらに陽だまりができるだけの薄暗い場所だった。

青木さんたちの遺体には、80ヶ所もの殴る蹴るの跡があったという。恐ろしく執拗な攻撃がなされたのである。強姦が目的なら必要ない行為だろう。所持金が残っていたことから強姦目的でもない。犯人はある種の変態には違いないと思われるが、現場に残した包丁に指紋を残さない慎重さは備えていた。

ただの狂人ではない。

”ワラビ採り”という隠語の意味

青木さんと高山さんは、スーパーに勤めるパート仲間だった。木曜日に仕事が休みなので、前日の水曜日にワラビ採りに出かけるのが常だった。高山さんの山入りは初めてだったが、リーダー格の青木さんは何度も山を訪れていた。犯人は主婦たちの動向を察知して木曜日を狙ったのかもしれないが、犯行の様相からは動機がつかめない。強盗でも強姦でもなく、単に殺すだけでもなく、主婦たちに二度と ”ワラビ採り” をさせないようなショッキングな事件を起こして何かをアピールしたようにも思える。

戦後の高度成長期まで、長岡京は駅前を除けば、全くの農村だった。京阪のベッドタウンとして宅地開発が進んだのは、54年に阪急電鉄が土地を買収してからである。かつて地域社会には年齢集団というものがあり、男子は数えで15歳になると青年会(若者組)という組織に加入した。それからの若者の慣例は、民俗学者・赤松啓介の『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』に述べられている。若者の夜這いの相手は後家さんか中年の女性だったという。「あんたのとこに柿の木あるの」「ちぎってもよろしいか」という独特のやりとりで事に及んだという柿の木問答のエピソードは印象的である。

市編纂の『長岡京史・民俗編』によると、この地域の年齢集団は50年代まで残っていたという。主婦たちは水曜日になると”ワラビ採り”に出かけたわけだが、青木さんの世代は古い隠語の意味を知る最後のジェネレーションだったのかもしれない。高度成長期に前時代の遺物が精算され、地域の風景は一変した。町名はすべて変更されて、古い日本は消えつつあった。ワラビ採り殺人が起きたのは、ちょうどその変動期のことである。

犯行の様相からは動機がつかめない・・・

 強盗でも強姦でもなく、ショッキングな事件を起こすことで、何らかのメッセージを発信する意図でもあったのだろうか・・・?

 長岡京市「主婦放火殺人事件」との奇妙な接点

 このような重大事件が起きることを、警察は事前に予期していた節がある。

「長岡京市は都会と田舎が同居した町で、地形も繁華街も隣接して深い山がある。犯罪が起こる可能性は常にある」

と当時の地元警察署長は語っていた。市議会が防犯条例を施行したのは、事件の1ヶ月後という素早さである。これは事件前から警察が長岡京市を「盗犯重点地区」に指定しており、犯罪の増加・凶悪化が懸念されていたことによる。

 

 戦後に京都で起きた事件を調べてみると、やはり70年代から都市型犯罪が目立ってくるが、その中でも異常なのは、次の3つの事件である。

  • 78年11月23日 マラソン主婦失踪事件(宇治市)
  • 79年05月23日 ワラビ採り殺人事件(長岡京市)
  • 84年05月15日 主婦放火殺人事件(長岡京市)

 

 宇治市の事件は、開発間近の田園地帯で夜9時頃にマラソンをしていた主婦・別と所美紀子(38)が、路上に血痕を残して姿を消した事件である。交通事故の痕跡はなく、別所さんと同じ型の血液が1リットル以上も確認された。 警察は遺体のないまま殺人・死体遺棄事件として捜査した。現場は陸上自衛隊宇治駐屯地の近くである。今日では一帯が住宅街になっており、事件当時の面影はない。別所さんはついに見つからなかった。

 

 長岡京の主婦放火殺人は、ワラビ採り殺人の5年後に同じエリアで起きた惨劇である。地元の主婦・上村貴美子さん(48)の家が白昼に放火され、1階の和室から上村さんの遺体が見つかった。死因は包丁で20ヶ所以上も刺されたための失血死だった。犯人は遺体に蒲団をかけ火を付けた。裏口から逃走した形跡があり、その後の行方はわからない。

ワラビ採り事件から5年後に起きた「主婦放火殺人事件」を報じる新聞記事(中日新聞・94年5月16日)。発生地域、被害者の年代、夫の職場、めった刺しにした犯行の手口など、ワラビ採り事件との共通点はいくつかある。二つの事件は繋がっているのか?

 

 3つの事件は、いずれも家庭の主婦が残忍な手口で被害にあった点で共通している。警察はそれぞれの関連を視野に入れて捜査したが、すべて迷宮入りした。

 

 マラソン主婦失踪については、何が起きたのか全くわからない。後の事件との関連も不明である。だが、ワラビ採り殺人と主婦放火殺人は接点がある。同じエリアで起きただけでなく、上村さんは青木さんと同い年で、夫はともに国鉄職員だった。ネット上では事件にまつわる怪情報が流されていて、上村さんはワラビ採り殺人の犯人を知っていたために口封じされたという説がある。 地元では様々な憶測が囁かれたようである。いじめに遭った主婦グループの報復という説もあるらしい。 根も葉もない噂に過ぎないのか、少しは真実をかすっているのかは不明だが、陰惨な背景があると思われても仕方がない事件ではあるだろう。通りすがりの犯行かもしれないワラビ採り殺人と違って、主婦放火殺人の犯人は、明らかに上村さんをターゲットにしている。そして確実に殺害した。

 

ワラビ採事件から

5年後に発生したもう一つの怪事件

長岡京市「主婦放火殺人事件」

さまざまな符号を見せる2つの事件

地下水脈で繋がっているのか・・・?

事件当時、被害者たちが勤務していたスーパー「いづみや」の現在

 

 

時効一か月前に捜査が終結した背景

 現在の上戸三の家に行ってみると、住宅街の路地は今でも人通りが少ないとはいえ、思ったより駅から近い。山中で起きたゆえに犯人の足取り追及が困難だったワラビ採り殺人とはわけが違う。事件の日の午後2時半頃、上戸さん宅から男女の言い争う声がするのを近所の人が聞いている。悲鳴も聞こえたので隣家の人が訪ねると、玄関の鍵が開いていた。中から煙が出てきたので消防署に通報したのが午後2時50分頃である。

 

 上戸さんは一人で家にいた。回覧板をまわすときも用心深く戸締りする人なのに、なぜ事件発生時に鍵が開いていたのか。この事件も謎が多い。家の中には1階から2階に至るまで、あちこちに血痕と足跡が残っていた。血液型から上戸さんの血ではなく、犯人が流血しながら移動したことがわかった。上戸さんを包丁でメッタ刺しにする中で、自らも深手を負ったらしい。手当の為に布などを探していたと思われる。残された足跡は26cm。鑑定の結果、靴下の跡と判明している。その動きを見ると、犯人は玄関から靴を脱いで部屋へ上り、食堂に通されていた。知り合いだったことになる。

 

 事件の時間に、駅前で不審な2人組の男が目撃されている。事件直後には、顔色の悪い男が市役所前からバスに乗った事がわかっている。男は布で巻いた右手から血を垂らしながら、神足駅(現・長岡京駅)で降りたという。運転手の証言によると、40代後半ぐらいで作業服姿だった。 警察はこの男の行方を追ったが、以後、捜査情報はパッタリ途絶える。犯人の血液型や似顔絵も公開されないまま、年月だけが過ぎていった。そして99年4月、まだ時効まで1ヶ月を残していたにもかかわらず警察署は捜査を終結した。

 

 昼下がりに上戸さん宅を訪問した犯人は、当初は合意の上で部屋に招かれたようである。しかし、何かの理由で台所か包丁を持ち出し、上戸さんを執拗に刺し続けた。この事件とワラビ採り殺人が関係あるのかどうかは不明だが、青木さんと接点のある上戸さんが狙われたことや、ともに強盗目的ではないこと、そして不審な2人組と作業服姿の中年男が目撃されたことなどは不気味にシンクロしている。ワラビ採り殺人だけが未解決なら手がかりの少なさゆえに頷けないこともないのだが,上戸さんの顔見知りと思われる犯人も捕まらいとなると、ダークな背景も想像せざるを得なくなる。

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あえて真相を伏せる古来の解決法

 

 民俗学者・宮本常一は、昭和16年に高知県梼原 (ゆすはら) 村で盲目の老人に取材し、後に民俗文学の代表作「土佐源氏」を執筆した。その中にこんなエピソードがある。

 

 老人が20歳のとき、馬喰(牛の仲買)の親方と後家が寝ていた宿が火事になり、焼け跡から2人の死体が見つかった。炬燵の火の不始末が原因とされたが、親方と後家がまるで火事に気づかなかったように並んで死んでいるのが不自然だった。後家はいい女だったので男どもが競り合っていたが、最後は親方がものにした。それを恨んだ者が2人を殺して火を付けたという真相は、誰も口にすることはなかったが、公然の秘密であった。

 

 「村の中の者同士ならすぐわかるが、わしらばくろう仲間はその村の者ではない。それでわしらが何をしているか、案外きがつかん。 また、気づいておっても、かかわりあいになるのはめんどうでとくにもならんことは誰も口をつぐうで何にもいわん」(忘れられた日本人)

 

 近代法感覚に慣らされた現代人は、なんでも白黒をつけたがる癖がある。しかし、あえて真相を伏せるというのも、古来の解決法であり方便であった。むろんいまでもその方便は生きている。10年ほど前に私の実家の近くで起きた殺人事件もその類いだった。

 

 白昼の路上で近所の主婦が何者かに刺し殺されたが、報道されず、いつまでたっても未解決だった。住民としては不安であるから、さる人に事情を聞いたところ、昼飯時の事件は案外目撃者がいないので警察は困っているという。当然ながら捜査は一生懸命やっている・・・というわりには、あまり本気で取り組んでいる様子も見られなかった。

 

「あれはカタギじゃないんですよ。やった方も、やられた方も」

 

 殺された主婦は、日頃から昼下がりに旦那以外の男を自宅に連れ込んでよろしくやっていたらしい。やがてそれだけではおさまらず、主婦たちの口コミで出会いのネットワークが作られた。次第に暇つぶしの小遣い稼ぎの枠を踏み外し、商売敵のヤクザに目を付けられた。そんな次第だから警察も特殊な案件と見なして解決を急いでいなかったという。実態を知れば、色々なことがあるものだと思うだけだが、はたから見るとまったく普通の主婦が被害に遭ったように見えるのがミソである。ひるがえって長岡京の事件はどうかというと、残念ながら真相は不明のままだ。私が言えるのはここまでである。

 

※文中に登場する事件の被害者名は全て仮名です。

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