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中川一郎 怪死事件

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中川一郎 怪死事件

事件概要

1983年1月9日 北海道・札幌パークホテルの浴室で、 宿泊していた自民党・中川一郎代議士 (57)が死ん でいるのを夫人の貞子さんが発見した。 死因は第一 が「急性心筋梗塞」、 しかし2日後に「自殺」に訂正 された。直後から、不審なものを感じた関係者は多数いたが、遺書もなく、また急いだように2日 は火葬してしまった動き、 死因の変更で、にわかに 「他殺説」が持ち上がった。 直前、 中川氏は当時秘書 だった鈴木宗男元議員と口論し、殴るなどの不審な 証言もあり、謎は氷解していない。

総裁選に出馬し「玉砕」
02年にかなりの反響を呼んだ週刊紙連載、「鈴木宗男研究」(「週刊新潮」 ジャーナリスト・加藤昭)の初回タ イトルには「師中川一郎を裏切り死に追いやった男」とある。
北海道の有権者のみならず、 自民 党の総裁選まで出馬した故・中川 一郎代議士の自殺は、いまなお謎で あり国民の関心事である。 それは、 タイトルが示すよう「自殺ではなか ったようだ」と考える人間が非常に 多いという意味である。

中川氏は1983年1月、ホテル の一室で首を吊った。 一応の公式シナリオは、およそこうだ。

前年、総裁選に敗れた中川氏は党 内での自身の支配力の弱さを痛感。 そこへ、鈴木宗男氏の出馬問題が重なり、裏切られたと義憤を感 じた中川氏が悲観、抗議の自殺を図 った、というものである。当日、体 調に異変をきたしていたという証言 もある。
しかし、こんなレベルではすまない「修羅場」がそこにはあったと見る向きは多い。そこでは自殺ではなく 「他殺」が前提になっている。 他殺説の根拠としては次のようなものがある。
①浴槽の中で、浴衣の紐で首を吊っていたが、首を吊るのでも相当無理ある体勢。 物理的に不可能と断言 する監察医もいる。
②突然の死亡だったのにもかかわらず、2日後に火葬される手際のよさ。
③当初、自殺を知りながらその事実を隠した夫人、鈴木宗男、高木正明 議員らが、2日後に自殺を公表する までのいきさつが不自然。また、その後夫人と宗男の対立も表面化する など、隠されていることが多い。
④「覚悟の自殺」と家族が証言する割 に、遺書などがない。
⑤第一秘書だった鈴木宗男氏が独立 出馬をめぐり中川氏と金銭面、 仁義面で対立し、自殺直前に抜き差 しならぬ修羅場があったと夫人が証 言していること。夫人に離婚を切り 出されていたこと。
⑥ソ連・レフチェンコ元駐日KGB 接触のあったといわれる中川氏 が、何かを暴露されそうな局面に陥り、 その対策に腐心していたとする 説。 さまざまなバージョンがある。
⑦中川氏が最後に電話をかけていた と見られる電話の相手が、何者かが 中川氏の室内に入った様子を電話で 感じ取っている。そしてその人間は 顔見知りのような感じだった。 ⑧総裁選で無理な調達をした金銭面 の「ヤキ」が何らかの形で回ってきて見慣れない風の、一部その筋とわかる集団が目撃されていた その他にもいろいろとあるが、いずれにしても自ら死を選ぶような合 理的説明はいまのところできない。
少なくとも優秀な金として中 川を支えながら、死後はまるで殺人者であるかのような中傷を受けつつ 大物代議士と呼ばれるまでに上 り詰めた鈴木宗男 しかし彼もまた「スキャンダル」で失脚し現在はノーバッチの身である。
その宗男に仕えた外務省職員、秘書らも組織を追放されたり、不遇をかこっている。これもまた非業の死を遂げた「師の呪い」なのか。

また、息子である中川昭一は 2009年10月4日、東京都世田谷区の私邸2階の寝室で倒れているところを、郁子夫人によって発見される。東京消防庁による救急搬送先で死亡が確認されたが、実際の死亡日時は発見前日の10月3日と推測されている。 57歳だった。

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