『徳川埋蔵金発掘プロジェクト』
禁断の舞台裏20世紀 最大の宝探し 放送されなかった
タブーとは?!!
日本中が“バブル経済”に躍る真っ只中放送された
TBSの「徳川埋蔵金発掘プロジェクト」。 糸井重里を筆頭に大物作家や超能力者が 幕末に徳川幕府が埋めたとされる
200兆円もの埋蔵金を発掘しようという しかしお茶の間を興奮させたこの番組には、放送されなかったエピソードがあったという。 超人気番組の禁断の舞台裏の真実とは
視聴率20%越えを記録した前代未聞の土木番組
時代が90年代に突入する頃、TBSの看板番組になっていた2時間枠の大型エンターテインメ
ント番組「ギミア・ぶれいく」。この番組内の一コーナーとしてスタートしたのが、赤城山中に隠された 「徳川埋蔵金発掘を目指した「赤城山埋蔵金発掘プロジェクト」だった。このプロジェクトの
隊長にコピーライター・糸井重里が就任すると、「穴を掘るだけで20%を越える視聴率を稼ぎ出す」という前代未聞の土木番組となった。
プロジェクトには糸井の他にも、ジム・ワトソンやキャロル・ペイトといった超能力者、さらには日本を代表する推理作家・高橋克彦と井沢元彦、超常現象研究家で知られる飛鳥昭雄などが参加。
プロジェクトは、第一次~第七次発掘までの約4年間続いた。
徳川埋蔵金 幕末時に徳川幕府が群馬県の赤城山中に隠したとされる埋蔵金の内訳は、御用金が24万両、納戸金が360万両、一個174キロの法馬金(インゴット)が約4千個とされ、最低でも「360万両の埋蔵金が行方不明になった」とされる伝説である。360万両と言えば時価換算で「200兆円」バブル全盛時のわが国の国家予算の実に約3年分に相当するという途方も無い金額だ。視聴者は埋蔵金発掘を目指し、ひたすら真剣に穴を掘り続ける男たちが繰り広げる。ドキュメンタリーに熱い視線を注いだのだった。
水野家に伝わる“徳川埋蔵金伝説「200兆円」の行方
知られざる舞台裏に触れる前に、まずは「徳川埋蔵金伝説」について、ざっとおさらいをしてお こう。江戸時代、通貨に含まれる金の含有量を減らす「通貨改鋳」は7度も行われている。元禄8年以降、幕府が得た改鋳の利益は450万両に及んだとされている。金を水増しした分だけ幕府の懐 に転がり込む理屈だ。
その利益の一部が公金とされる「御用金」として使われ、それ以外は裏資金とされる「納戸金」に まわされた。
しかし、討幕軍が無血開城で江戸城に入った際、城中にある7ヶ所の御用蔵には、1両小判1 枚も残っていなかった。三百諸侯を束ね、800万石の巨大組織の蔵に1両も無かった"とは考 えられない。
徳川慶喜が大政奉還する直前、幕府の勘定奉行は「小栗上野介」。既に家族郎党を引き連れて生 まれ故郷の上州権田村(現在の群馬県)に帰っていた上野介に官軍が派遣されたが、上野介は、360万両の行方について何一つ口を割らなかっ た。結果、上野介は息子と家臣らと共に鳥 川の河原で斬首にされたが、話はコレで終 わらなかった。
上野介の下で勘定吟味方だった「中島蔵人」。 [この人物が幕末のどさくさの中、何処とも なく姿を消してしまうのである。その蔵人と懇意にしていたのが、道を挟 んだ所に屋敷を構えていた旗本「水野智義」だった。
明治9年(1876年)、行方不明だった蔵人から智義宛に「御公儀に関わ る重大な秘密を打ち明けたいので、至急来てほしい」との手紙が届き、智義は蔵人との再会を果た す。既に結核で余命いくばくもない状況の蔵人は、智義に次のような遺言を残した。
「自分は公儀在職中に同士と相謀り、甲府(山梨県)の御金蔵から黄金24万両を運び出して赤城山 山中に隠した。 他にも藤原なる人物がいて、御公儀の命を受けて、城内の御金蔵から360万両 の小判を運び出し、赤城山中に隠した」 以上が水野家に伝わる埋蔵金伝説の要諦である。
智義は埋蔵金発掘のため、211万平方メートルもの赤城山の麓の土地を買い取り、初代・智義、 二代目・愛三郎、三代目・智之と百年以上にわたり、水野家は、埋蔵金発掘に専念してきた。 三代にわたり掘られた穴の総延長は、25キロにも達するという。
「この下を掘れ!」 超能力者ジム・ワトソンの意外な言葉
このプロジェクトの当初の特徴は、"アメリカ人の超能力者に埋蔵金のありかを探させる、という新たな試みにあった。要は「超能力で財宝の在り処を突き止める」ということである。
そこで白羽の矢が立ったのが超能力者ジム・ワトソンと女性超能力者キャロル・ペイトであった。
まず、ジムとキャロルの2人は、小型機に乗り空中からの“透視”を行い、様々な透視結果を提示し、そこを重点的に掘る方針が立てられた。
しかし、現場でジムの発した一言にスタッフ一同は面を食らった。
「この下を掘れ!」
水野家の応接間を使っての作戦会議が開かれていた矢先、ジムが急に庭に降り、
「ここを掘ろう!」
といい始めた。ジムが指示した場所は、参加者の誰一人として予測しなかった場所
なぜならそこは、水野家の庭先だったからである。
驚くスタッフを尻目に、ジムは平然と言い放った。
「大勢の半裸の男たちが、この庭の下で泥だらけになって働いている光景が見える」と…...。ジムが見た光景は果たして何だったのか?
こうして水野家の庭に何台もの重機が持ち込まれた。いっせいに穴が掘ら れ始めると、次々とトンネル跡が発見された。そしてそのトンネル跡からは、
「松明の燃やし炭」などの物証が発見された。 さらに地下深く続くトンネルを掘り続けると、10メートル下に巨大なドーム状の空洞”を発見した。 糸井はこの空洞を発見した際の興奮を次のように語 っている。
「穴のなかに入ってみると、たまらない感動があるんですよ。もともと超能 力者の実験みたいな、冗談のような話ではじまった発掘が、ようやくこんな 空洞にまで至ったと思うとね」(「あるとしか言えない」/集英社刊より抜粋) 第三次発掘において発掘されたこの空洞からは、「クルミの殻」「小枝の燃え カス」 「陶器の水差し」などの数々の物証だけでなく、「埋蔵金発掘に携わった 人足」が使用したと思われる「鉈」や「陶製のランプ」などが発見されると、この 場所に埋蔵金が眠っているのではないか?との期待は次第に高まっていっ た。
しかし、この空洞からは四方八方、それこそ縦横無尽に伸びる無数の穴が 発見された。 掘り進むと次から次に縦から、そして横から穴が出現し、さらにその穴を掘り進めるという具合に発掘作業は進められた。
結果、穴は地下50メートル以上にまで達し、前述の通り数々の物証が発見されたものの、埋蔵 金に直接繋がるような物証の発見には至らなかった。
しかしここである事実が判明する。テレビでは一切放送されていないが、空洞に入った制 作スタッフがある事実を仄めかしたというのである。
大空洞の中から伸びる通路の一つが水野家の屋敷の真下に通じていた。
この事実は何を物語っていたのだろうか?
初代が購入した膨大な土地と購入資金「10億円」のミステリー
足掛け4年お茶の間を興奮の坩堝に巻き込んだ一大発掘プロジェクトは、 結局埋蔵金を発 見することができず、不発に終わった。果たして、この地に埋蔵金は眠っていなかったのか? 実 はこの疑問こそ、番組で一切封印された舞台裏なのである。
実は、あまり語られることはないが、三代・百年以上もの長きにわたり発掘を続ける水野家は多 くの謎に包まれている。
まず、水野家の屋敷は、大勢の人足と武士団の生き残りの藤原 (正体は江戸幕府の軍学者・菅原 広則)が"何かを守っていた”とされる番小屋があった場所に建てられていた。
この事実と前述の「水野家の屋敷の真下に繋がっていた」という トンネルの関係性から浮上することは、番小屋の跡地に建てられ た屋敷がトンネルへの出入り口を隠すための“カムフラージュだ ったのではないか”という可能性である。
さらに智義が、発掘を目的に周囲211万平方メートル(実に 東京ドームの約5倍!)の土地を買い占めているが、土地の購入 資金は、智義が東京に所有していた不動産や家屋敷を処分して作 ったという。その売却額は300万円 現在の相場でなんと「10億 「円」である。当時、一般庶民でも都内(当時は東京市内)に家を買 えたという時代を考えれば、智義は一体どれほど巨大な屋敷や不 動産を所有していたのだろうか。
こうして考えると土地の購入資金30万円の出所に関してもある疑惑が浮上してくる。つまり、そ れは資金の出所が病死した蔵人の隠した24万両で賄われたのではないかという疑惑である。 謎はまだある 糸井重里の陣頭指揮による発掘の最中、偶然に「石積み」が顔を出したことが あった。その時、智之が妙な発言をした。というのだ。 「ここまでは初代が掘ったが、すぐに埋め戻している」 埋め戻した理由は、智義の妻が、「掘ってはならんぞ」という、夢のお告げ"を受けたからだという。そのお告げによって、 智義は発掘作業に従事していた人足をその場で全員解雇したというの だ。しかし、その石積みは、地図上にある銀行のマーク法馬金"の形に積み上げられた 石だったのだ。それを考えれば、智義の人足解雇の真相は人払い”だったのではないか。つまり そこから人払いをしてまでも守りたい”何か”があったからではないのか?
筆者は想像する 埋蔵金360万両の一部はもしかすると既に発掘されていたのではないか ......と。 そして、プロジェクトで発見された数々のトンネルは智義が埋蔵金を掘り出した後に埋め戻した痕跡だったのではないか...。
壮大なる。プロジェクトの顛末
98年1月3日 『ギミア・ぶれいく』の番組終了に伴い、プロジェクトは初めて独立番組として 放送された。 発掘チームは当時世界にまだ2基しかない、カナダ・シントレックス社製の「空中探 査システム」を発掘の“秘密兵器”として導入し、このシステムをヘリコプターに吊り下げ、上空か ら埋蔵金の在り処を突き止めようとしたのである。
結果、未発掘の2ヶ所から「きわめて電気を通しやすい何か」の反応が出 た。そのうちの1ヶ所は、発掘作業によって取り壊されたため、新しく建 てられた水野家の屋敷の近くからだった。ただ、これはあくまでも暫定結果で、探査の最終的なデータ分析には約3ヶ月を要した。 しかし、93年3月、反応があった場所の発掘は「土砂崩れの危険性がある」として、発掘は中止。 93年4月4日の放送で、プロジェクトのリーダー・糸井から「中止」が宣言された。さらに99年には「2000年決戦 徳川埋蔵金!炎のリベンジ」と題して放送されるも、結局埋蔵金発掘には至らなかった。
しかし、埋蔵金は本当に存在しなかったのか――ある関係者の言葉が筆者の脳裏に今も強く残っている。
俺たち、誰かに騙されたんじゃないのか
この言葉は何を意味しているのだろうか 長きにわたる埋蔵金発掘プロジェクトはこうして、幕を閉じた。