「犬鳴峠」
恐怖伝説の正体
九州最大の“魔境〟の真実
十数年前、インターネットやテレビで九州最恐のスポットと、 喧伝されてきた謎の場所 それが「犬鳴峠」だった。 「杉沢村」と同様、噂は各方面に拡散し、 さまざまな噂が飛び交った。
「日本国憲法が通用しない」 との噂までが囁かれた、 心の集落にはいったい何が 隠されているのか・・・?
数々の幽霊目撃譚と奇怪な体験談の源泉
「何を見てきた”わけですか」
「首から下のない女の人があるいとったそうですたい」
「首から下がなくて、どうやって歩くんですかね」
「あらやだ、そういえばそうじゃね。あらやだ、ホホホホホホホ」
道路沿いに一軒、ポツンと営業中の喫茶店のママさんと、こんな会話を交わした。窓の外には水 田が広がり、その向こうには青々とした山並み。ママさんは連なる山を指差しながら「ほれ、左の方 山肌がちょっとえぐれたみたいになっとるとこがあっとでしょう」
あの辺りが“問題の”犬鳴峠なのだと教えてくれた。犬鳴峠は数年前までインターネットやテレビ でかなりの「問題」を投げかけてきた場所である。そう、言わずと知れた九州最恐の心霊スポット うっかり近寄るとアブナイ、謎の山地として
数々の幽霊目撃譚だけでなく、「犬鳴村、行きました。本当にやばいです。右手がない人々に襲わ れて本当に死ぬかとおもいました」「日本国憲法が通じない集落」
とかいった、犬鳴峠をめぐる奇怪な体験談〟が次から次、インターネットに書き込まれ、話題が 話題を呼ぶ形で、一地点の「恐怖伝説」として話題を呼んだのだった。
いったいなぜ? いったい「犬鳴」という場所の何が、こんな事態を招き寄せたのか。その謎に迫 るべく、私ははるばる九州へやってきた。
「犬鳴」という地名の由来のルーツは 古代的な信仰の痕跡か?
博多へ向かう新幹線の車中で、私はふと、「犬鳴」といういかにも変わった地名は「犬神信仰」と何 か関係があるのではないかと思った。 犬鳴峠は博多の東北約30キロ、かつては日本最大の炭坑地帯 だった筑豊の道方、田川方面へ抜ける道筋に位置している。そして、炭坑で働くひとたちが心から 恐れていたのが「犬神」だったのである。炭坑には「坑内ではぜったいに口笛を吹くな」というタブー があったが、口笛を吹くと、犬神があらわれて人に祟るからというのがその理由だった。また、福 岡出身の作家、夢野久作の『犬神博士』という小説に出てくる「犬神祭」の様子はというと・・・
《オスの犬をつかまえてきて、首から上だけを地表に出して土に埋め、そのまましばらく放ってお く。当然、犬は空腹になる。そんな犬の目の前に肉や魚を供える。犬は口を開けて食べようとす るが、食べられない。目は血走って吊り上り、ウォーウォーと鳴きつづける。その狂乱がクライマックスに達したところでスパッと、犬の首を切り落とす。 切り落とした首を黒焼きにして壷に入れ、 それを呪術のパワー絶大な「犬神様」として祭る≫
とまぁ、こんな儀式が行なわれていたかどうかは別として、炭坑に犬神信仰が根強かったことは 確かであり、「犬鳴」という地名の由来を深くたどっていけば、今は文字通り土に埋もれてしまった、 この古代的な信仰の痕跡に出会えるかも知れないと思った。インターネットに、たとえば「白い車に 5人乗りで行くと霊が出やすい」といったジンクスについて書き込みがいくつか見受けられたが、こ れなどもどこか、炭坑の「坑内タブー」の名残りめいている。
「昔の炭坑はタコ部屋みたいに人をこき使うとる所も多かった。そこから逃げ出した坑夫が必死に 越えたのがあの山たい。誰それが逃げたぞ、いうてヤクザみたいなのがおいかけよる。まぁ10人に 7、8人は捕まってひどい目にあわされたもんじゃが、あの山、つまりあんた方のいうとる犬鳴峠 を越したら、もう一切追わなんだいう話じゃ」
くだんの喫茶店でぼそぼそコーヒーを飲んでいた地元(福岡県・久山町)の老人から、こんな興味深い 話を聞いた。
「筑豊の側からすると、峠の向こうは別の世界だったわけですかね。38度線と同じで、そこを越えちゃったら、もう仕方ないと」
「そげんこたい。まあそれだけ、簡単には越せん山の難所だったということにもなろうがのう」 炭坑のエリアと外部の境界として、犬鳴峠は昔から、何かと人々の熱い関心の集中する場所だったわけだ。 ママさんや老人に御礼を述べ、四輪駆動車で「犬鳴」を越えた。長いトンネルを抜けると若宮町。左 に大きなダム。現在はこのダムの底に沈んだ戸数30戸ほどの集落が、明治半ばまで犬鳴村と呼ば れた地区で、村の西側には標高583メートルの犬鳴山が 空に突き立っている。まずは地元に仁義を切っておこうと、
若宮町の役場を訪れると、これが剣もほろろ。
「困りますよ、根も葉もない噂を立てられちゃ。 この前も 訳の分らん番組作ってくれたテレビ局に厳重抗議したとこ ろです」(同役場企画振興課の話)
お化け話しくらいならまだしも、インターネット上に「犬鳴村は被差別部落」だの、非常識な噂が流れているのが許せ ない、ということのようだった。当然である。この際だか はっきりさせておくが、「犬鳴」という村ないし集落は現 在地元には存在しない。すでに述べたようにダムの底であ る。ネットに載せられている「それらしい」 写真は、久山町 から若宮町へ抜ける旧道(昭和24年開通)沿いに残った「柳原」 地区の民家であり、ここの住民の1人であるHさんは久山町役場の職員である。「憲法の通じない」集落の人が、公務員になど、なれるはずもない。 この手の 書き込みをやっている人間は、その書き込みが、自分の無知とバカさ加減を満天下におっぴろげて いるに過ぎないことに早く気付いた方がいい。
長きにわたるトンネル工事が撒いた幽霊話の種子
犬鳴地区の旧住民の一人、藤島桂次郎さんに話を聞いた。ダム建設の補助金で建てた豪邸といってもいいような大きな家。その家の縁側に座ってポツリポツリ、話してくれた。 「犬鳴の産業は何といっても木炭。村のもんはみんな月に2回、百俵ちょっとくらいの炭焼きしよ ったが、わしは月3回、3百俵以上焼いたもんだ。その代わり、夜も寝られんくらい忙しかったよ。 炭焼き仕事は、一ぺん火を入れたら、夜通し火の加減を見とらにゃならんけんな。ホタルやマムシ、 それと鹿の多か村じゃった。まぁ谷底で狭いとこじゃったが、戦前は篠崎豊彦いう貴族議長にまで なった大政治家もでとる。あと産業ちゅうたら鉄の精錬所があったよ」
「お化けの話は昔から多かったですか」と訊ねてみた。 「旧道のトンネル工事のときにな、いろいろあったけん......」 「いろいろあったというと?」 「まぁ、犠牲者が出とるわけだ」「その人たちの霊が出ると?」
「そういう話はちょいちょいあった」 犬鳴峠を越える最初の自動車道路、すなわち旧道の建設が始まったのが昭和7年。ところが戦争 の影響でトンネル工事は何度も中断を余儀なくされて、開通したのは戦後、昭和24年のことだった。 長い長い工事期間。その間に事故や(おそらくは)ケンカなどで命を落とした関係者も数多く、地元に 幽霊話の種子をまいた。やがて1975年、高度成長を達成した日本の経済力を背景に新道、現在 県道2号線が、こちらはあっという間に開通した。
その結果、山の奥の方に取り残された旧道、旧トンネルが、いつの間にかミステリーゾーンめい 色彩を帯び、ついに新トンネルやダム周辺を巻きこんだ「恐怖の噂」の震源地になってしまった。そ して、こうした傾向、つまり同地区の”ミステリーゾーン化に拍車をかけたのが88年12月、旧トン ネル付近で起きた「工員焼殺事件」だった。
恐怖伝説を加速させ、決定づけた「リンチ事件」
この稀代の殺人事件の犯人は、かつての炭坑地帯、同県田川郡方城町に住む1~1歳の5人の少年。 5人はガールフレンドとのドライブ用に、知り合いの工員Uさん(20)の車を借りようとしたが断られ、 今でいう逆ギレ状態になってUさんを拉致の末、殺してしまったのだが、そのやり口が何ともスサマジかった。 当時の 新聞記事から、事 件のさわりの部 分を引用しておこう。
(同日(12月7日)午前十一時ごろ、旧県道
旧犬鳴峠トンネル内で(少年達はUさんを)焼き殺そうとしたが、Uさん(名)の悲鳴が響くため中止。 トンネルから約百五十メートル離れた路上で、泣き叫ぶさんの口に布を押し込み、両手足をシャツで縛ったうえガソリンをかけ、ライターでチリ紙に火をつけて 放り投げ Uさんを焼き殺した。 少年らはUさんの死亡を確認するため、現場周辺をぐるぐる回っては三回も現場に戻っていた(同年12月10日「毎日新聞」 お化けなんかより人間の方が余程怖い、とでも言いたくなるような事件のありさまだが、記事からは98年のこの時点で、すでに旧道一帯が、車の影も人の影も絶えた「山中異界めいた空間になっていたことがしのばれる。 私は今、閉鎖されている若宮町の旧道を歩いてみたが、人間の気配 が消えた廃道というものはたしかに、人を異様な気分にさせる。 自分がどこから来て、どこへ行こうとしているのかがボンヤリしてきて、重苦しい空気の向うの誰かに誘われて「いまオレは歩 いている」と、そんな気分になってくる。
「旧道の道に入ると突然カーオーディオが停止しました。(中略)トンネルに近づきました。トンネ ルの中から天井からしたたる水の音が聞こえます。ピチョン・・・ピチョン・・・(中略)「うわぁおおおおお お」と男の人の大きな声がトンネルの中から聞こえ、二人で逃げました」
インターネットの書き込みのこんな一例。大半は作り話なのだろうが、「あの空間」ならではの、空 気に胸を締めつけられるような気分はよく伝わってくる。 廃道は、つまりは時代の激しい変化がも たらした地理上の「空白地帯」なのであり、そうした種類の「空白」が、犬鳴峠周辺にはいくつか重な り合っている。ひとつの集落がダムの底に沈んで出来た「空白」、60年代に急激に進行したエネルギ 革命にあおられて姿を消した石炭産業の「空白」。これらの「空白」が生んだもの――それが「犬鳴 「峠」の恐怖伝説の正体である。
時代の激しい変化がもたらした数々の空白 それが恐怖伝説の正体である。