プチエンジェル事件
封印された事件の黒いバックグラウンド
03年7月17日、正午過ぎ -花屋に駆け込んできた 一人の少女の脱出劇によって発覚した 「プチエンジェル」事件。 だが、容疑者が不審死を遂げ、事件には多くの謎が残された。 なぜ、容疑者は死んだのか、少女たちは何を目撃したのか、 そしてあの事件とは何だったのか······· 改めて取材した筆者は、事件の闇の一端にたどりついた。 あまりにも、深く暗い、そして恐ろしい闇の一端に….....
白昼の脱出劇-
「助けて、助けて。警察呼んで下さい」 靴も靴下もはいていない少女が突然花屋に駆け込んできた。
「友だちが残っているの。助けて」
ひどくおびえた様子の少女の両手首には赤い痣があった。
2003年7月17日 少女専門デートクラブの存在が明るみに出た「プチエンジェル事件」は赤坂のウィークリ ーマンションの一室に監禁されていた少女が、部屋から 逃げ出し、花屋に駆け込んだことから発覚。花屋の 店員が警察に通報し、警察がマンションに踏み込んだ 時には既に犯人と目された吉里弘太郎(当時)は練炭 自殺を遂げていた。事件は多くの疑問、矛盾、謎を残 したまま、幕が引かれた。
事件には“シナリオ”があったのか?
事件を新聞報道を元に改めて整理してみる。
マンションの一室に監禁されていた小学生4人の親 からの捜索願を多摩中央署が受けたのが、4人の行方 がわからなくなって半日たった7月15日の夜。捜索願 を受け、同署は聞き込みを開始する。 一方少年育成課は、渋谷や新宿で女子高生数人を使って少女を対象にアルバイトの勧誘を行なっていた人 物として、吉里の存在を把握していた。
少女の自宅から「プチエンジェル」と記されたチラシ が見つかり、チラシに記されていた携帯電話の番号が 吉里のものであったことから、別件で逮捕状を取り、 7月16日に捜査一課を中心に行方を追い始めた。だが、 吉里の居場所の特定は難航し、警視庁は16日夜、少女 4人の顔写真が入ったビラを準備、公開捜査に踏み切 る直前だった。
そして、翌17日午後、一人の少女が花屋に駆け込ん だことで、事件が発覚。
警察の動き、事件の発覚、そして容疑者の自殺――こ の不自然な事件の流れははたして偶然なのだろうか? 吉里の不審な死も司法解剖がされないまま、警察は 早々に「自殺」と断定。遺書はなかった。吉里とともに 行動し、少女らをタクシーで部屋まで連れてきた男や 渋谷で監禁前日、少女らに声をかけていた女子高生 風”の女についても、警察は「関係性なし。吉里の計画 的な単独の犯行」と断定し、事件の幕引きをはかった。
一連の流れを俯瞰した時、筆者の頭を過ぎったのは、 全てが何者かが書いた。シナリオ通りに事が進んだの ではないかという疑念だった。
赤坂の元組織関係者A氏は証言する。
「エンジェルは潰されたと聞いたが・・・・・・エンジェル自 体も問題だが、それより後ろの関係がな......」
また元警察関係者も事件の一連の流れに疑問を呈し た。
「もし本当に報道通りだとしたら、あり得ないね。期 限まで引張って裏をきっちり取るはずだ」
全ては仕組まれていた......?
事件の謎はまだある。 例えば、新聞には次のような 記述がある。
《監禁4日目の1日夜、吉里容疑者は食事部屋に入 ったきり出てこなくなった。まったく物音も聞こえず、 人の気配がなくなった。 「社長がいなくなったのでは …………」 1日正午すぎ、脱衣所にいた1人が手錠から手を抜いて部屋を脱出。マンション隣りのビルにある花屋に駆け込んだ》(朝日新聞・2003年7月18日)
警察が部屋に踏み込み、ダイニングでビニール製シートのなかで仰向けに倒れ死んでいる吉里を発見したのが、17日正午~午後1時の間あたりと推測される。死 因は「一酸化炭素中毒とみられ、死後十数時間たってい る」との報道があることから、16日夜から17日未明にか けて吉里は死んだことになる。自殺にしろ、他殺にしろ、報道にある通り「吉里の行動が物音で判断できる」 部屋であるならば、少女たちは「部屋で何が起こったか」を知っているはずだが......。
だとすると公開捜査が始まる直前のタイミング 少女が花屋に駆け込んだ白昼の逃走劇も、吉里の練炭自殺も全て“仕組まれていたのだろうか......?
「35億円」という巨額の金の正体
吉里は大学卒業後、裏ビデオ販売などで糊口を凌い でいたというが、父親は元朝日新聞の記者で事件の数 年前に自殺している。また兄も父親の後を追うように 自殺しており、「吉里=自殺家系」の報道は練炭自殺を 補強したとも言える。また報道では、吉里は高級ホテ ルに宿泊し、フェラーリを乗り回し(事件発覚の一週間 ほど前に売却)、頻繁にハイヤーに乗る姿が目撃されて いる。こうした派手な一面がある一方で、本来の自宅 である埼玉のアパートも解約せず、軽自動車も所有し ていた。だが、最大の謎は、吉里名義の通帳に残され ていたとされる「35億円」という巨額の金の正体である。 非合法ビジネスに詳しいB氏は吉里の人物像をこう
たいな適当な後援会風の名前だと思いますよ。だいい ち、実際に利用するのが議員本人なのか秘書や後援会 人間かなんて受ける側はわからない。こうした非合 法な取引ではお互い全てを聞かないのがルールです」 (元大臣秘書)
政治家などの顧客が多いという都内のVIP専門の 風俗店経営者はこう証言する。
「たいていは議員と繋がりのある関係者から連絡が 来て、どこそこのホテルに何時に、みたいな感じかな。 リスト?いちおうあるけど、これで割り出すのは無理 じゃない。名簿に議員の個人名は入れないなあ………で、 自分から議員だって女の子に言う人も結構多いし (笑)。間に入っている人間からも何となく・・・・あ、でも時間や場所なんかでだいたいわかるよ」
つまり、プチエンジェル事件で囁かれたリストの存 在は前出の証言にあるような性格のものだったのだろ う。だが、このリストと吉里が持っていた情報があれば顧客だった政治家にたどり着くことは可能であ り、それは同時にリストを手にした者にとって、有効な恫喝のツール”になることを意味する。
前出のA氏がプチエンジェルが「潰された」と言った 理由、そして吉里が不審死を遂げた理由がここにある。
事件の真相が封印された本当の理由
プチエンジェルの顧客だったとされる政財界の大物 とは誰だったのか? 一部では大物財界人「i」や小泉 政権時に抵抗勢力”と呼ばれた議員の存在も噂された。 そして、プチエンジェル事件の真相とは何なのか? A氏は筆者に一つのヒントを与えてくれた。
「一つは当時の闇社会の東西戦争。そしてもう一つは 政治家の勢力争い。事件と同じ時期に起きた永田町で の出来事でも調べな。西と東の守神たちが喧嘩してる から」
闇社会の東西戦争”永田町の出来事
A氏の言 葉で筆者にはピンと来た。政治家と闇社会の関係。 政 治家とある組織の勢力をA、そしてこれに対抗する政 治家とある組織の勢力をBとしよう。そして、プチエンジェルと吉里がAの勢力図のなかの組織だったとす る。AはBによってプチエンジェルを潰され、リスト を押えられ、結果、Aの勢力は失墜、以降Bが台頭したこれがプチエンジェル事件の真相であり、勢力 争いの大雑把な構図だ。そして、この事件以降、微変 した闇社会と政界の勢力図は、まさに驚くほど氏の 証言と一致していた・・・・・・。
誰が吉里を殺したのか それは前述の勢力図で言えば、プチエンジェル側の勢力ということになる。 なぜ、吉里が殺されたのか それは、背が組織 の重要秘密を握る爆弾だったからだ。吉里の身柄を対 抗する組織や警察が押えれば、吉里が口を割ることは 確実だった。組織にとって被害の拡大を防ぐための選 択肢―それは吉里を殺すことだった。 練炭自殺が後 にある有名人の“怪死”の際にも用いられた手法であっ たことは偶然ではない。
政界と闇社会の権力争いは表裏一体である。 そして、 プチエンジェル事件の真相が封印された理由――それ
は、この魑魅魍魎の縮図が事件そ のものだったからである。