伝説の武器・防具

鬼を退け妖魔を斬る、源氏重代の宝刀 髭切と膝切

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鬼を退け妖魔を斬る、源氏重代の宝刀 髭切と膝切

 『平家物語』によれば、清和源氏の三代目当主・多田(源)満仲が、筑前国(現在の福 岡県)から刀工を召しだし、最上の鉄を六十日間鍛えて太刀を作りあげた。

 

古来、名刀と呼ばれるものには鬼退治、妖怪退治の逸話がつきものである。なか でも源氏に代々伝わる「髭切の太刀」と「膝切の太刀(または膝丸)」のふた振りは、名 刀伝説の代表としてその名を知られる。

月岡芳年「新形三十六怪撰 源頼光土蜘蛛ヲ切ル図」

このふた振りの太刀は、ともに長さ二尺七寸(約八十二センチ)とある。 名の由来は、罪人を試し斬りにしたところ、首を顎髭ごと切り落としたため「髭切」、もう一方が膝まで切ったため「膝切」と呼ばれるようになったという。だが 満仲の嫡子・頼光に伝えられると、この二刀は別の名で呼ばれることになる。

髭切から「鬼切丸」、膝切から「蜘蛛切丸」へ

まず、髭切の太刀は、頼光四天王のひとり渡辺綱の手に渡る。頼光四天王とは、 大江山の酒呑童子を退治するとき、頼光につき従った渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、の四人の勇者である。このうちの綱が、深夜に使者として出かけることと なったため、頼光が護身用にと髭切を持たせたのだ。

はたして、一条堀川の戻橋にさしかかったところ、綱は美しい女と出会う。夜ふ けに物騒だからと同行したが、その女は五条の渡しで突然鬼女に変身し、綱をつか んで空へ駆け上がろうとした。

髭切

いばらきのどうじ この鬼こそが、酒呑童子の仲間ともいわれる茨木童子である。しかし、綱はあわ てることなく髭切を一閃させ、鬼の片腕を斬り落とし、追撃を逃れて北野天満宮の 回廊に落ちのびた。 茨木童子のほうは、愛宕山の方角へと飛び去っていった。のち に茨木童子は、綱の老母に化けて、斬られた腕を取りかえしにくるのだが、綱の武 勇伝が伝わると、以後この刀は「鬼切丸」と呼ばれるようになった。

一方の膝切にも、妖怪退治の伝説が残っている。 頼光が熱病に悩まされていたある夜、寝所に奇怪な法師が現れて頼光に縄をかけ ようとした。気づいた頼光は、すかさず枕元の膝切をつかむとその僧に斬りかかっ た。その瞬間に僧は消えたが、膝切によって傷を負った僧は血痕を残していた。綱 ら四天王がその血痕を追っていくと、僧の正体は身の丈四尺(約一・二メートル)の 土蜘蛛であることがわかったのだ。

歌川国芳 「和漢準源氏 源頼光 薄雲」

四天王により土蜘蛛は退治され、頼光の病も治り、蜘蛛は鉄串を刺され河原にさ らされた。この事件により、膝切もまた「蜘蛛切丸」と呼ばれるようになったのだ。

名を変え源氏の嫡流へと受け継がれる名刀

やがて、このふた振りの刀は八幡太郎義家へと伝えられるが、義家の養子・為義 の代になると、夜な夜な鳴き声をあげはじめた。そこで為義は、獅子のような鳴き 声をあげる鬼切丸を「獅子の子」、蛇のような声をあげる蜘蛛切を「吠丸」と名づけ た。

 さらに獅子の子は「友切」と名を変えられたが、この名が源氏に不吉をもたらし たため、夢枕に立った八幡大菩薩の教えに従い、もとの髭切にもどした。

その後、髭切は平氏を京より追いだした木曾義仲の手に渡り、戸隠山の鬼を斬ったともいうが、結局は源氏の嫡流である源頼朝の手に落ちついた。 吠丸のほうは、為義から熊野別当に贈られ、やがて源義経の手に渡った。義経の佩刀として伝えられる「薄緑」とは、膝切であり蜘蛛切丸だったのだ。 こうして、源氏重代の宝刀は、頼朝・義経という兄弟の手により、平氏との戦いで勝利をもたらす。そして、義経が討たれたのち、頼朝に回収された。

現在、このふた振りのうち、鬼切丸は、北野天満宮に所蔵されている。ただ、製 作者は酒呑童子を倒した童子切と同じ安綱とされる。 蜘蛛切丸は、義経が奉納した とされる箱根神社に、薄緑として伝えられるが、じつは薄緑と伝わる刀はいく振り もある。その由来も違うために、真相は謎のままである。

芳年漫画 渡辺綱と茨木童子

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