グリコ・森永事件
事件概要
1984年3月18日朝、「江崎グリコ」江崎勝久社長宅に何者かが押し入り 浴室にいた江崎社長が拉致された。犯人は十億円と金塊100kgを要求するが、江崎社長は3日後に解放。 しかし本当の事件はここからだった。 かいじん21面相は店頭のグリコ製品に青酸ソーダを混入し執拗に金銭を要求する一方森永、丸大食品、ハウス食品とターゲットを拡大。捜査各本部は「キツネ目の男」のモンタージ写真を公 開し犯人に肉薄するが、際どく逃げた犯人は、翌年 8月 「もうゆるしたろ」と一方的に終結宣言、その後、 動きはなく、2000年に時効が完成した。「仕手集団。説」「グリコ怨念説」「同和団体関係者説」など諸説あ るが、事件後「最重要参考人M」こと宮崎学氏が作家デビューを果たしている。広域重要指定第114号
企業のリスクヘッジに多大な影響
一般消費者が直接の顧客に当たる 食品メーカーにとって、史上最大の 教訓を残したのが「グリコ・森永」事件である。
一滴の汚水をぶどう酒の樽にいれ さえすれば、すべてをだめにするこ とができる「リスク」。また世間に虚 偽の発表をすれば、発覚した際には 取り返しのつかない損害を被るとい う、広報対応の重要性がつくづく認 識され、結果的には企業管理のあり 方を変える「革命」であったと言えなくもない。
事件の発端となった、1984年 の江崎グリコ社長誘拐事件。しか し、このアクションには伏線があっ た。捜査関係者の間で「(昭和) 53年 テープ」と呼ばれた、6年前に同社 に送りつけられていた脅迫テープで ある。脅迫の手口は「22 面相」と酷似 していた。その4年後にも「黄巾賊」 「カルロス軍団」を名乗る脅迫状がグ リコ役員宅に届いている。
「グリコには何か隠していることが あるのではないか」 「過去に何度も裏取引をしていたのではないか」 捜査に非協力的な印象を受けた当 局やメディアは、グリコの社内事情 を調べ始め、その結果、一族経営の 歪みや、労使紛争などさまざまな「内部要因」が報じられる結果となっ た。そして、その過程で「闇の勢力」 とのつながり(宮崎学氏の言う「マイ ノリティ」や、一橋文哉氏の指摘す る、同和団体関係者を指すと見られ る、「闇の勢力X」など)が、事件の 解明を容易ならざるものにしている との説が浮上する。
「グリコ怨恨説」はしばらく有力な シナリオであったが、「江崎グリコ ゆるしたる」のメッセージと同時 に犯人グループの標的が他社に広が ってからは、動機が絞りにくくなり、 捜査は混乱した。
また「けいさつの あほどもえ」と いった警察組織を嘲笑する脅迫状を、 執拗にメディアに送り続けたことで 「金銭目的」「怨恨説」のほかに「思想 「外国機関の謀略」といった説も犯」 飛び出した。
いまも語り草になっているのは、84 年11月、ハウス食品脅迫事件で、 名神高速道路のパーキングエリアに 待機していた捜査員が、犯人と思し き乗用車を発見、職務質問までいき ながら逃げられたことである。この ミスから、県警・府警どうしの暗闘 が激化し、翌年、滋賀県警本部長が 焼身自殺する事態に発展してしまう。 (その直後に犯人からの「終結宣言」 が届く) 広域にまたがる捜査になると、決まって信じられない「縄張り意識」「手柄意識」を発露させてしまう、だが、宮崎氏にはそれぞれアリバ う、警察のそんな性分が迷宮入りを演出したといえる。
この事件も「3億円事件」と同じく、 犯人のモンタージュ「キツネ目の男」 (捜査員の間ではFOXの頭文字で “ド”と呼ばれていた)が、事件解 明をむしろ妨げる働きを持った。 「最重要参考人M」こと宮崎学氏(作 家)の顔に似せて作ったとも言われ るこのモンタージュは、3回あった 現金受け渡しの機会で、2度にわた刑事に目撃されたという顔である。
だが、宮崎氏にはそれぞれアリバイがあり、疑惑を示すさまざまな状 況証拠も、結局は無力だった。 当の宮崎氏は、55年10月の段階 で「サツも手を出せない人物——財 界人だと思いますが、それの大物と、 企業としての人脈のつながりでグリ コは解決したんじゃないかな」(「噂 の真相」25年10月号)と語り、その後、 事件前後の株価に注目した「仕手集 団」犯人説を唱えている。
「21面相」追跡のアザー・ストーリー
日本を「1億総闘っ引き」状態にし た「かい人面相」には、実に多彩な 「正体」が当てはめられてきた。 なかでも特筆すべきは、2度、全 国紙の1面トップを飾った「犯人特 定報道であろう。時効を迎えた今 となれば、それらは「真犯人」の勲章 でしかないのだが。
まず、1989年6月1日毎日新開夕刊。見出しは「グリコ事件で取り調べ 江崎社長の知人ら4人」。
概要はこうだ。犯人は4人組で、 主犯格Aは、江崎社長に恨みを持つ 男で同社長の知り合い。犯行終息宣言後も捜査当局に協力しな いよう江崎社長を脅迫し 続けていたとされる。社 長が誘拐監禁されていた 水防倉庫に残されていた 遺留品と、Aの周辺か ら採取した証拠が「高い 確度で一致」し、また 脅迫状に使われた同機 種のバンライターを 所有する者がいたと いうものである。
この記事では「同事件は、発生後、約5年2ヶ月ぶりに解決に向かった」とあり、金沢昭雄警察庁長官が午後にも竹下首相に解決を緊急報告する」と ある。他社は慌てふためき裏取りに 走り記者クラブは騒然となった。 だが、記事のとおりにはならなかった。
翌日朝刊では「重要参考人の4人 は関与を否定 引き続き捜査」とト ーンダウンし、6月10日にはついに 「行き過ぎ紙面を自戒」と、事実上の 「お詫び」を出すに至ったのである。 あの「3億円事件」誤認逮捕のきっかけとなった「幻のスクープ」から30年 再びの「大誤報」であった。
この記事は、捜査方針の迷走と 航を示唆するものと受け止められた。 これほどの記事の場合、新聞記者は 例外なく捜査陣の最高幹部に真偽を 当てる。少なくとも府警トップクラ スから出た情報である。記事を書か せ ることによって、ある人物が捜査
の主導権を握る、能を切り替える布石に利用するという例はいくらでもある。
それから8年後、事件が風化しつ つあった97年7月。今度はもっと開 天モノの「スクープ」が飛び出す。7 月4日付産経新聞一面の「グリコ・ 森永事件 「北」工作員グループの犯 行 捜査関係者が確信」というものだ。
そもそも産経は北朝鮮報道に熱心 で、拉致被害者報道でも他社に先駆け てきた実績がある。そうした取材 から出てきたスクープと推察された が、不思議なことにこの記事も続報 はなく、もちろん「お詫び」などもな かった。
記事によれば、捜査当局が注目し たのは、兵庫県芦屋市の会社社長(開 和2年死去)を中心としたグループ。 「この社長は日本における北朝鮮系 非合法活動家の黒幕的存在」とされ、 グリコ・森永事件の起きた昭和59年 当時、社長の経営する貿易会社は北 朝鮮の鉱山開発投資に失敗、多額の 資金と「金塊」を必要としていた。「金 塊」は、出資者に「北朝鮮で発掘さ れた」と見せるためである。これは、 グリコ・森永事件の犯人が「金塊」を 要求した時期と一致する。
さらに、このグループには江崎社 長を恨んでいたという考古学者(北 朝鮮の工作員との複数の証言がある)がおり、産経新聞の取材に対し、た。 江崎社長との関連を否定した後、所 在が不明になっているという。 これはスクープというより、捜 査本部内にあった『北朝鮮謀略説” の全容を紹介したというものに近い。 数を取る最重要人物も死去しており、 この話もいつしか立ち消えてしまった。
いずれにせよ、グリコ・森永事件 は「決定的に怪しい」人物が不在であ るかわり、暴力団、北朝鮮、マイノ リティ、警察OBといった迷宮入り 事件に登場する「常連」たちが勢揃い するという、まさに「迷宮中の迷宮」 に属する事件であるといえるだろう。